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水戸地方裁判所土浦支部 昭和61年(ワ)190号 判決

原告

岩田優

岩田美智子

右両名訴訟代理人弁護士

江口弘一

江口十三郎

被告(亡塚原清承継人)

塚原みゆき

塚原充秋

塚原和子

三浦洋子

塚原春木

右五名訴訟代理人弁護士

中井川曻一

被告

土浦市

右代表者市長

助川弘之

右訴訟代理人弁護士

酒井亨

主文

一  被告塚原原みゆきは、原告岩田優に対し金六〇一万二一九〇円、原告岩田美智子に対し金五六八万一三一〇円、及び右各金員に対する昭和五九年一月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告塚原充秋、同塚原和子、同三浦洋子及び同塚原春木は、それぞれ、原告岩田優に対し金一五〇万三〇四七円、原告岩田美智子に対し金一四二万〇三二八円、及び右各金員に対する同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告土浦市は、原告岩田優に対し金一二〇二万四三七八円、原告岩田美智子に対し金一一三六万二六二二円、及び右各金員に対する同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用は、原告らと被告土浦市との間に生じた分は同被告の負担とし、原告らとその余の被告らとの間に生じた分は同被告らの負担とする。

五  この判決の第一ないし第三項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  主文第一ないし第四項と同旨

2  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告らは、本件医療事故で死亡した岩田裕也(以下「裕也」という。)の父母である。

(二) 訴外塚原清(以下「塚原医師」という。)は、茨城県土浦市桜町〈番地略〉において、小児科医院(塚原医院)を開業する医師であったが、昭和六二年八月五日死亡した。被告塚原みゆきは塚原医師の妻であり、その余の被告らは塚原医師の子である。

(三) 被告土浦市は、昭和五九年一月二日当時、訴外土浦医師会との間で、休日の市民の緊急を要する傷病に対処するため、右医師会所属の医師を当番医として休日診療を行わせる旨の契約を締結していた。塚原医師は、右契約に基づき同日の当番医として、診療を行っていたもので、被告土浦市は、市民の緊急診療のために塚原医師を使用していた者である。

2  裕也の死亡に至る経過

裕也(当時一歳、昭和五七年一二月八日生)が、昭和五九年一月一日に風邪ぎみで発熱(三七度二分)し、翌二日午後には、体温が三七度五分に上がり、急に声がしわがれて、ぜいぜいしてきたので、原告岩田美智子(以下「美智子」という。)は、裕也を連れて土浦市の休日診療の当番医であった塚原医院に向かい、同日午後四時二〇分ころ同医院に到着した。診察を待っているうちに、裕也が非常にぜいぜいと肩で息をするようになったため、原告美智子は、同日午後五時二〇分ころ、順番の繰り上げを申し出て、直ちに塚原医師の診察を受けた。

塚原医師は、右裕也を簡単に聴診して、強い呼吸困難、喘鳴、声がれ、顔面蒼白、腹壁緊張減弱、皮膚光沢なし、胸部ラ音等の症状を認め、喘息性気管支炎と診断した。しかし、塚原医師は、スメルモンコーワを注射しただけで、「薬が出るまで、診察室の隣の部屋のベットで待っていなさい。」と告げて、診療を終えた。間もなく塚原医師の妻被告塚原みゆきが原告美智子に対し水薬と座薬を渡して、使用方法を説明したうえ、「帰ってよい。」と告げたので、原告美智子は、裕也の症状が悪化した場合にはどうすればよいかと尋ね、被告塚原みゆきから社会福祉センターへ行くようにと言われて、同日午後六時前ころ、原告岩田優(以下「優」という。)と共に裕也を連れて塚原医院を出た。

同日午後六時二〇分ころ、帰宅すると、裕也の顔面が蒼白で唇が青くなっていたため、同日午後六時三三分ころ救急車を呼んだが、裕也が苦しさのあまり立ち上がり、目を上に向け、唇をかみしめ、身動きをしなくなった。そこで、原告優の運転する自家用車に裕也を乗せて塚原医院に向かい、途中出会った救急車に乗り替えて、同日午後六時五四分ころ、同医院に到着した。

塚原医師は、裕也の心臓停止を認め、心臓マッサージ等の救命蘇生措置を一切講ぜず、裕也の死亡の診断をした。

3  裕也の死因

裕也は、肺水腫による肺機能障害から心不全を引き起こして死亡したものであり、右肺水腫の原因は、喘息性気管支炎から肺炎を引き起こしたことによるものである。被告塚原らが問題とする乳幼児突然死症候群(SIDS)には該当しない。

4  塚原医師の過失

(一) 検査及び治療義務違反

小児は、一般に呼吸機能に予備力がなく、成人に比して容易に急性呼吸不全に陥りやすく、また、その場合、心不全などの重篤な全身症状を起こしやすいため、小児が呼吸困難や喘鳴症状を起こした場合には、直ちに入院させて、レントゲン写真、血液検査、血液ガス分析、心電図、細菌検査、尿検査、脳波等の精密検査を行うとともに、①気道確保、酸素吸入、人工換気などの呼吸管理、②酸塩基平衡異常の是正措置、③呼吸不全の原因治療、④心不全等の多臓器障害の防止措置等の緊急治療措置を行う必要がある。

塚原医師は、当日午後五時二〇分ころの第一回目の診察時、裕也が既に呼吸不全に陥っているのを認めたのであるから、右のような検査ないし緊急治療措置を行うべき義務があったのに、これらを怠った。

(二) 転医措置義務違反

仮に塚原医院に、前記のような緊急治療措置ないし各検査を講ずる設備ないし技術がなかったとしても、塚原医師は、第一回目の診察時に裕也の呼吸不全を認め、かつ、入院の必要を認めたのであるから、国立霞ケ浦病院や土浦協同病院、東京医科大学霞ケ浦病院などの設備のある大病院に連絡して、裕也の症状を説明したうえ受入れの要請をし、原告らに対し転医を勧告するなどして、緊急治療措置ないし検査を受けさせ、あるいは入院する機会を与えるべき義務があったのに、これらの転医措置を一切講じなかった。

(三) 経過観察義務違反

乳児の呼吸不全は多臓器障害等の重篤な合併症を急速に伴う危険が極めて大きいのであるから、塚原医師には、前記(一)、(二)の各義務を怠る場合でも、少なくとも裕也の症状の進行、急変に備え、これを逐一観察すべき義務があった。

しかし、塚原医師は、原告美智子に指示して、薬ができるまでの間、裕也を診察室の隣に移して待機させただけで、裕也の様子を現に観察ないし診察せず、妻を介して原告美智子に薬を渡したうえ、裕也を連れ帰ることを許して帰宅させ、結局なんら裕也の症状について経過観察をしなかった。これにより、裕也において、塚原医師自身又は転医による緊急治療措置及び救命蘇生措置を受ける機会を失わせた。

(四) 救命蘇生措置義務違反等

裕也が救急車で塚原医院に運ばれた同日午後六時五四分ころの時点では、塚原医師は、裕也の心臓停止時刻を確認できておらず、同医師が死亡推定時刻とする午後六時四〇分ころから、わずか一〇分余程度しか経過していなかったのであるから、同医師は、裕也に対し、直ちに心臓マッサージ等の救命措置を取るべき義務があったのに、これを怠った。

塚原医師に右の蘇生措置の設備等がなかったのであれば、同医師は直ちに転医のうえ、右措置を受けさせる義務があったのに、これを怠った。

5  塚原医師の過失と裕也の死亡との因果関係

前記のように、裕也は、喘息性気管支炎から肺炎を引き起こして死亡したものであるが、前記の緊急治療措置が行われていれば、裕也の死亡を回避することができたものと考えられ、裕也の死亡と塚原医師の前記注意義務違反との間には相当因果関係が認められる。

したがって、塚原医師には民法七〇九条による不法行為責任があり、被告土浦市には同法七一五条による使用者責任がある。

6  被告土浦市の固有の不法行為責任

休日診療は、そもそも休日明けを待てない緊急ないし重篤な患者を対象とするものであって、本来的に入院治療や緊急治療に移行できる体制を常備することが必要なものであるから、被告土浦市は、休日診療に来た患者がすみやかに転医入院措置を受けられるような体制を取るべき義務があるというべきである。したがって、本件当時、入院患者を収容するための当番の病院がなかったということが塚原医師において転医措置義務を怠った誘因の一つとなっているとすれば、被告土浦市が入院収容病院を確保していなかったことは塚原医師の転医措置義務違反を誘引助長して、裕也の死亡という結果を生じさせたものというべきである。

したがって、被告土浦市には、民法七〇九条、七一九条による塚原医師との共同不法行為責任がある。

7  損害

(一) 逸失利益

一三〇三万八四八〇円

年齢別平均給与額表による一八歳男子の平均給与月額一三万円を基礎に、生活費控除を収入額の五割、就労可能年数を満一八歳から満六七歳までの四九年間とし、新ホフマン式計算法による年五分の割合による中間利息を控除(係数16.716)して裕也の逸失利益の現価を求めると一三〇三万八四八〇円となる。

130,000円×0.5×12×16.716

=13,038,480円

(二) 慰謝料 一〇〇〇万円

裕也の死亡による慰謝料は、一〇〇〇万円を下らない。

(三) 葬儀費用 七〇万円

葬儀費用は、原告優が支出した。

(四) 弁護士費用

一〇〇万円(原告各自五〇万円宛)

(五) 合計

右(一)、(二)の損害賠償請求権は原告両名がそれぞれ二分の一に当たる一一五一万九二四〇円宛相続したので、原告両名の損害賠償請求権は、原告優が一二七一万九二四〇円、原告美智子が一二〇一万九二四〇円である。

8  よって、原告優は、前記損害額の一部一二〇二万四三七八円について、原告美智子は同じく一一三六万二六二二円について、塚原医師の相続人である被告塚原みゆき外四名及び被告土浦市に対し、請求の趣旨記載のとおりの支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告塚原清承継人五名・以下「被告塚原ら」という。)

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実のうち、裕也が、昭和五九年一月二日午後四時二〇分ころ、塚原医院に到着し、順番を繰り上げて、午後五時二〇分ころ、塚原医師の診察を受けたこと、その際、裕也には呼吸困難、声がれ、顔面蒼白、腹壁緊張減弱等の症状があり、塚原医師は、喘息性気管支炎と診断し、スメルモンコーワを注射したこと、裕也及び原告美智子は投薬を受けて直ちに帰宅したこと、裕也は、同日午後六時五四分ころ、救急車で塚原医院に搬送され、塚原医師が再診して、心臓停止を認め、救命蘇生措置を講ぜず、死亡の診断をしたことは認めるが、その余の事実は知らない。

3  請求原因3の裕也の死因は争う。

司法解剖結果によると、裕也は肺水腫による肺機能障害から心不全を引き起こして死亡したと推定されているが、右肺水腫の原因については、間質性肺炎、乳幼児突然死症候群等が挙げられているものの、特定できないというのであって、結局、裕也の死因は不明というほかない。

4  請求原因4の塚原医師の過失は争う。

塚原医師は、経過観察をする意図で、原告美智子に対し、診療終了後隣室のベッドで待っているように指示したが、原告美智子及び裕也が帰宅してしまったため、結果的に診察後の経過観察ができなかったもので、このような結果になったことは、なお多数の患者が診察を待っていたという状況のもとにおいてはやむを得ないことであり、同医師に過失があるとはいえない。

5  請求原因5の因果関係については争う。

前記のとおり、裕也の死因が明らかでない以上、医師がどのような治療方法を講じたならば救命し得たかということも不明ということになり、塚原医師に原告らが主張するような不作為による過失があったとしても、これと裕也の死亡との間に相当因果関係を認めることはできない。

裕也が塚原医師の診療を受けたのが午後五時二〇分ころであり、裕也の死亡が午後六時一〇分あるいは午後六時二五分とすると、塚原医師が診療を開始してから裕也が死亡するまで五〇分ないし六〇分余の時間しかなかったことになる。

そこで、裕也が、喘息性気管支炎あるいは間質性肺炎に罹患していたとしても、その起炎菌がウイルス性であったとすれば、これに対する抗生物質は存在しないから、仮にどのような大規模病院に転医しても、裕也の五、六十分後の死亡の結果を回避することは、殆ど不可能であるし、また、起炎菌が細菌性であったとすれば、有効な抗生物質の投与により治癒可能であるとはいえ、その効果が発現する時間を必要とするところ、小児の病状は極めて急速な変化が生ずるのが一般的であり、本件のように塚原医師の診療開始から五、六十分後に裕也が死亡していることからすれば、抗生物質の投与の効果が発現する前に、死亡を免れなかったと考える余地が充分ある。

また、原告らが主張する治療は、いわゆる対症療法であり、原因疾病そのものに対する根元的治療方法ではないから、原因疾病の急速な進行により、もはや死亡の結果を回避する可能性は極めて疑わしい事態にあったというべきである。

さらに、塚原医師の診療開始から五、六十分後に裕也が死亡していることからすると、裕也を大規模医療施設に転送したからといって、短時間の間に死亡の結果を免れさせる救命の決め手になる有効適切な治療方法が実施されるという経過を想定することは困難である。

6  請求原因7の損害は知らない。

(被告土浦市)

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2ないし5及び7の事実は知らない。

3  請求原因6の事実は争う。

土浦市は、昭和五九年四月一日土浦市医師会との間で休日緊急診療業務委託契約を締結し、同契約第五条をもって、重症のため入院加療を必要とする場合については地域の官公立病院の協力を求め、すみやかにその収容に努めるとし、他方第二次救急医療施設である土浦協同病院、東京医科大学霞ケ浦病院及び国立霞ケ浦病院の三病院との間で病院輪番制を定め、夜間における重症救急患者の受入れを確保していた。また、当時、土浦市東真鍋町二番五号に診療所を置き、休日午後八時から午後一一時まで土浦市医師会に委託して診療にあたらせていた。したがって、休日診療の入院患者を収容するための当番病院の体制や具体的な当番病院が存在していたことは明らかで、原告らが主張するような塚原医師の転医措置義務違反を誘引助長した過失はない。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二裕也の死亡に至る経過

当事者間に争いのない事実並びに〈書証番号略〉、承継前の被告塚原清及び原告岩田美智子各本人尋問の結果によって認められる事実は次のとおりである。

裕也は、昭和五八年一二月三一日ころより風邪ぎみで、翌年一月一日には熱が三七度二分あり、翌二日午後には、更に三七度五分に上がり、声がしわがれてぜいぜいし、下痢をしたので、原告美智子は、消防署に問い合わせて、土浦市の休日診療の当番医である塚原医院を知り、原告優の運転する自動車に裕也を乗せて同医院に向かい、同日午後四時二〇分ころ、塚原医院に到着した。多数の患者のいる同医院待合室で診察の順番を待っているうちに、裕也が非常にぜいぜいと肩で息をするようになったため、午後五時二〇分ころ、原告美智子は、順番の繰り上げを申し出て、直ちに塚原医師の診察を受けた。

塚原医師は、裕也の胸部及び背部の聴打診、口内の視診、原告美智子に対する問診の結果、裕也に強い呼吸困難、喘鳴、声がれ、顔面蒼白、腹壁緊張減弱、皮膚光沢なし、胸部ラ音、下痢等の症状を認めて、喘息性気管支炎と診断した。塚原医師は、経過観察ないし入院の必要があると判断したが、被告土浦市と協定をした救急患者の転送受入をする輪番制の病院がないものと考えて、転医の措置はとらず、呼吸困難改善のためスメルモンコーワを注射し、アセチルロイコマイシンシロップ等の投薬の処方をしたうえ、裕也の様子を見る目的で、原告美智子に対し、「薬が出るまで、診察室の隣の部屋のベットで待っていなさい。」と告げたが、経過観察をするつもりであるとか、再度診察するということは言わなかった。

原告美智子は、裕也と共に右診察室の隣室で指示どおり待っていたが、塚原医師からは経過観察や入院の必要があるとは言われず、裕也の呼吸困難が楽になったように感じたこともあり、診察室の窓口にいた塚原医師の妻塚原みゆきから薬を渡され、その用法を聞き、帰ってよい旨告げられたので、裕也の容態が悪化した場合にはどうすればよいかと尋ね、同女から夜間診療所の場所を聞いたうえ、同日午後六時前ころ、塚原医院を出て、裕也を連れて自動車で帰途についた。その間、塚原医師は、他の患者の診療に当たっていて、裕也が帰宅したことに全く気がつかなかった。

原告らは、同日午後六時二〇分ろ、帰宅したが、裕也の顔面が蒼白になり、唇は青くなっていたので、同日午後六時二五分ころ、救急車の出動を求めた。その直後、裕也は、急に立ち上がり、原告美智子が抱くや、目を上に向け、唇をかみしめ、全く動かなくなった。そこで、原告らは、救急車の到着を待たずに、原告優の運転する自動車に裕也を乗せて塚原医院に向かい、途中出会った救急車に乗り替えて、同日午後六時五四分ころ、塚原医院に到着したが、塚原医師が診察したところ、裕也は呼吸停止、心停止の状態で、瞳孔が散大しており、同医師は、全く心肺蘇生術を施さず、死亡と診断した。

三裕也の死因について

1  〈書証番号略〉及び承継前の被告塚原清本人尋問の結果によると、塚原医師は、裕也の死亡の直接死因は心不全、その原因は肺炎、さらにその原因は気管支炎(喘息性)であると診断したこと、同医師は昭和二〇年に医師の資格を取得し、昭和二二年以来土浦市において、小児科及び内科医院を開業していたもので、裕也の死亡時まで約三八年余の医師としての経験を有していたことが認められ、同医師の昭和五九年一月二日の裕也の診察は、前記認定のとおり、聴打診、視診及び問診の程度であるが、同医師が把握した前記認定のような裕也の臨床症状、すなわち、強い呼吸困難、喘鳴、声がれ、顔面蒼白、腹壁緊張減弱、胸部ラ音、下痢等の症状からすると、同医師の右の死因の診断が確定診断とはいえないとしても、これを一概に間違いであるとはいえない。

2  次に、〈書証番号略〉(三澤章吾作成の鑑定書・以下「三澤鑑定」という。)によると、医師三澤章吾は、司法警察員から鑑定の嘱託を受け、昭和五九年一月三日裕也の司法解剖を行ったが、裕也は、「結果的には肺水腫による肺機能障害により死亡したものと推定」し、右肺水腫の原因となりうるものとして、(1)間質性肺炎、(2)乳幼児急死症候群(SIDS)、(3)感染によるエンドトキシン・ショック、(4)薬物注射による不整脈、(5)薬物ショックとこれに続く循環障害が考えられる、すなわち、これらのいずれかが死因となった可能性があるが、結論的には、死因は不詳であるとしている。

そこで、右の三澤鑑定の内容について検討を加えることとする。

(一)  三澤鑑定は、裕也の死体に認められる病変として、(a)肺のうっ血と浮腫、軽度の間質性肺炎、(a)脳の腫脹と浮腫、(c)咽頭、喉頭粘膜のうっ血と喉頭蓋の軽度浮腫、(d)心外膜の溢血点、(e)左臀部の注射針痕を挙げ、特に、右(a)の病変は、割面で圧迫すると気泡と共に暗赤色の血液が多量に漏出し、左右肺胞内に著しい浮腫があり、肺胞壁のうっ血が著明で、気管支周囲に好中球、リンパ球等の中等度の浸潤があり、気管支粘膜は一部で変性剥離するというものであって、(b)、(c)、(d)の病変は急死の所見であるので、前記のとおり、直接には肺水腫による肺機能障害により死亡したものと推定するというのであり、この点では異論の余地はない。

しかし、三澤鑑定は、裕也の死亡を引き起こした肺水腫による肺機能障害の起因となった真の死因は、裕也の臨床症状(塚原医師の診察時の全身状態、注射時の裕也の反応、容態悪化時の脈拍及び呼吸の状態など)が不明であったり、急死の所見のみしか出現しなかった等の理由により明らかにできないというのである。この点については、原告岩田美智子本人尋問の結果によると、裕也の司法解剖は、注射によるショック死の疑いを持った原告らが警察に申告して開始された業務上過失致死事件の捜査として行われたものであること、三澤鑑定では、前記の塚原医師が把握した裕也の強い呼吸困難、喘鳴、声がれ、顔面蒼白、腹壁緊張減弱、胸部ラ音、下痢等の臨床症状が考慮されていないこと、三澤医師が、臨床経過として、前記の塚原医師が裕也にスメルモンコーワを注射した後痙攣が起きるまでの時間を約二時間と誤認していることが前記鑑定意見に影響しているものといわざるを得ない。

(二)  三澤鑑定が指摘する死因のうち、(3)感染によるエンドトキシン・ショックについては、感染が重篤であればという前提をおいて、考慮に入れなければならないというに過ぎず、右のような重篤な感染の存在を窺わせる症状は挙げられていないし、当事者双方もこれについて争わないので、死因から除外してよいと考えられる。

(三)  三澤鑑定が指摘する死因のうち、(4)薬物注射による不整脈、(5)薬物ショックとこれに続く循環障害について

〈書証番号略〉によると、塚原医師が裕也に注射したスメルモンコーワの適応症は、急性気管支炎や感冒・上気道炎に伴う咳嗽とされ、その用法・用量は、通常成人には一回0.5ないし一ミリリットルで、年齢・症状により増減し、これを皮下注射にだけ使用することとされ、乳幼児に対する用量の具体的定めはなく、過度に使用を続けた場合、不整脈、場合によっては心停止を起こすおそれがあるので注意するよう説明されていることが認められる。この点について、塚原医師は、承継前の本人尋問において、0.3ミリリットルを皮下注射したと供述しているが、〈書証番号略〉(診療録)には「スメルモン1.0」と記載され、一行隔てた行外に「0.3」と記載されており、また、原告岩田美智子本人尋問の結果によると、右の注射針は、裕也の臀部に直角に一気に刺され、裕也が大声で泣いたこと、三澤鑑定及び〈書証番号略〉によると、裕也の左臀部上外四分の一の部分に注射針痕があり、皮下脂肪組織の深部まで出血があったことがそれぞれ認められる。そこで、右の注射の方法、注射針痕の部位、深さからして、筋肉注射であった疑いが強い。

また、注射量について、被告塚原らは、前記診療録の「1.0」という記載は、保険請求上一アンプル使用したという旨の記載であると主張するが、「0.3」の記載の位置と体裁は、不自然で、後に書き加えられたものであることが窺われ、当時真実の使用量を正確に記載したものであるかどうかは疑わしい(なお、右診療録には、その他にも数か所後に削除加入されたとみられる記載がある。)。そして、三澤鑑定は、薬物そのものによるアナフラキーショックであれば注射後短時間にショック症状が起ると考えられるが、裕也が注射から二時間後に痙攣を起こしているので、薬物によるショックとは思われないとしているのであるが、前記のとおり、右の二時間後というのは誤りで、前記認定のとおり、塚原医師が裕也の診察を始めた後五五分前後ころその容態が悪化したのであるから、右の三澤鑑定の意見の妥当性には疑問がある。ただ、塚原医師の注射量が不整脈、場合によっては心停止を起こすおそれがあるほど過度に使用を続けた場合に当たるとは必ずしもいえないこと、塚原医師は、これまでスメルモンコーワを長期間使用しており、同人の知る限り事故は起きていないと供述していること、三澤鑑定では、前記の塚原医師が把握した注射前の裕也の臨床症状が考慮されていないことからすると、(4)薬物注射による不整脈、(5)薬物ショックとこれに続く循環障害が死因である可能性も小さく、原告らは、薬物注射が死因であるという当初の主張を撤回したし、他に証拠がないので、右の各死因も除外してよいと考えられる。

(四)  三澤鑑定が指摘する死因のうち、(2)乳幼児急死症候群(SIDS・以下には、一般の用例に従い、「乳幼児突然死症候群」という。)について

〈書証番号略〉によると、乳幼児突然死症候群(SIDS)とは、広義では、それまでの健康状態及び既往歴からでは、その死亡が全く予測できなかった乳幼児に突然の死をもたらした症候群をいうが、本来は、これより狭義に、剖検によってもその原因が不詳である突然の死を乳幼児にもたらした症候群につけられる診断名であること、その原因は不明であり、睡眠中の無呼吸発作や気道の閉塞と呼吸中枢の機能異常がその病因として最も有力であるといわれていること、疫学的には、①生後六か月未満、特に二ないし四か月、②男児、③低出生体重児、人工栄養児、④寒い季節、⑤睡眠中に多いといわれていること、主要症状は、呼吸停止、徐脈、チアノーゼ、心停止であるが、前駆症状として、数日前から軽い感冒様症状を呈している例があること、死因とは考えられない小さな異常、例えば上気道炎、腸炎が半数近くみられ、また、微小な組織変化として肺うっ血、肺水腫が高頻度にみられることが認められる。

これを裕也についてみるに、〈書証番号略〉によると、裕也は、妊娠四一週と四日で正常出産により出生し、当時体重三〇六五グラムであり、少なくとも生後四か月間は混合栄養により哺育され、一二か月までの発育曲線は標準の範囲内にあったこと、前記のとおり、死亡当時すでに一歳一か月であったこと、二日前から風邪気味であったが、前記の塚原医師の診察当時、裕也に強い呼吸困難、喘鳴、声がれ、顔面蒼白、腹壁緊張減弱、胸部ラ音、下痢等の臨床症状が認められたこと、呼吸停止になったのは睡眠中の無呼吸発作ではないこと、三澤医師によって認められた肺浮腫、肺うっ血は微小なものではなく、著しい或いは著明なものであったことなどの点からすると、疫学的事項、臨床症状、組織変化の点で乳幼児突然死症候群の病態を外れているものと考えられる。〈書証番号略〉(医師福田睦夫の意見書)は、臨床的には急激に悪化して死亡に至るような疾患が見出せず、剖検によっても明らかな疾患が見当たらなかったとして、SIDSの可能性が高いというが、右の意見は、三澤鑑定が挙げた可能性のある死因を選別した程度のものであって、前記の塚原医師の診察当時に裕也に強い呼吸困難、喘鳴、顔面蒼白等の症状がみられたこと、乳児には呼吸器に予備力がなく、急速に呼吸障害が進展し、全身状態が悪化する可能性があることを十分考慮した意見とはいえず、直ちに採用することはできない。

(五) 三澤鑑定は、裕也にみられた間質性肺炎は比較的軽度で、これにより死亡したとは考えられないといいながらも、裕也の死亡の基盤には間質性肺炎が存在し、これを基礎として肺炎が悪化し、肺水腫による肺機能障害が惹起された可能性があるとしているのであって、前記の乳幼児突然死症候群の定義にいうように、その死因が不詳であるというのではなく、前記の塚原医師の診察当時の裕也に強い呼吸困難、喘鳴、顔面蒼白、腹壁緊張減弱、胸部ラ音、下痢等の臨床症状があったこと、肺浮腫、肺うっ血が、乳幼児突然死症候群に伴うような微小なものではなく、著しい或いは著明なものであったことなどからすると、裕也は、肺炎から肺水腫を引き起こして肺機能障害を来し、直接には心不全により死亡したものと考えられる。

四塚原医師の過失について

1  検査及び治療義務違反

〈書証番号略〉によると、乳児は、一般に呼吸機能に予備力がなく、成人に比して容易に急性呼吸不全に陥りやすく、また、その場合、心不全などの全身症状を起こしやすいこと、したがって、乳児が呼吸困難や喘鳴症状を呈した場合には、その症状の程度にもよるが、胸部X線撮影、血液検査、血液ガス分析等の検査を併用して病態を明らかにすると共に、①気道確保、酸素吸入、人工換気などの呼吸管理、②酸塩基平衡異常の是正措置、③呼吸不全の原因治療、④心不全等の多臓器障害の防止措置等の緊急治療措置を講ずる必要があることが認められる。

前記認定のとおり、塚原医師は、第一回目の診察時、裕也に強い呼吸困難、喘鳴、声がれ、顔面蒼白、腹壁緊張減弱、皮膚光沢なし、胸部ラ音、下痢等の症状を認めて、喘息性気管支炎と診断し、入院ないし経過観察の必要があると判断し、呼吸困難改善のためスメルモンコーワを注射し、可能ならば入院等の措置のとれる他の医療機関に転送することも考慮したというのに、裕也はそのまま帰宅し、前記認定のように、その容態は急変したのである。

したがって、塚原医師は、第一回目の診察の時点において、前記のような聴打診、視診及び問診だけでなく、更に検査を尽くして病状の把握に努め、自院において、その症状に応じた治療措置を構じ、或いは転送先の病院において、同様の治療措置を受けさせるべき義務があったといわなければならない。

被告塚原らは、当日の患者は多く、看護婦はいなかったことから、原告らが主張するような治療措置を講ずべきであったというのは、甚だ酷に過ぎると主張するところ、承継前の被告塚原清本人尋問の結果によれば、本件当日は休日当番の診療で、約一三〇名の患者があって混み合っており、裕也を診察した午後五時二〇分ころも、まだ二、三十人の患者が待っていた状況で、補助者は妻一人であったため多忙を極めたというのである。しかし、休日診療といえども、人命に関わる業務に従事する医師としては、事実上診療を引き受けた時から、病者を保護すべき者として通常の開業医としての医療水準による適切な治療措置を施すべき義務を負うものであり、重篤な患者にはその症状に相応したより注意深い措置を講ずべきであって、もし塚原医師が自らの能力を超えていて、自院での治療措置が不可能であると考えれば、他の病院に転送して治療措置を受けさせるべきであったのであり、被告塚原らの主張のような事由があったとしても、前記義務を免れる理由にはならない。

前記認定のとおり、塚原医師の裕也に対する検査及び治療に関する措置は右の義務を尽くしたとはいえず、不十分であったというほかない。

2  経過観察義務違反

被告らは、塚原医師に裕也の経過観察義務があったことは明らかに争わず、前記認定のとおり、同医師自身もこれを認識していたのである。

ところが、前記認定のように、塚原医師が原告美智子に対し、隣室で待つように告げただけで、経過観察する必要を明示的に告げず、同医師を補助していたその妻である被告塚原みゆきが帰宅してよい旨告げたため、原告美智子は薬を受け取って帰宅してしまったのであり、原告らに落ち度があったとは認められず、塚原医師に右の経過観察の義務違反があることは明らかである。

3  転医措置義務違反

前記認定のとおり、塚原医師は、第一回目の診察で、裕也の入院の必要を認めていたのであるから、なお多数の患者の診察に忙殺され、しかも自院において裕也の予想される症状に対処する能力がないと考えるのであれば、転医措置を講ずる義務があったのであり、前掲〈書証番号略〉によると、重症の救急患者の入院加療を受け入れる輪番制の大規模病院が定められていたので、同病院への転送は可能であったのである。

塚原医師は、本件当日、受入病院がなかったと思っていたというのであるが、それは、同医師が失念していたのであり、この点についても、塚原医師に義務違反があったというべきである。

4  救命措置義務違反

裕也の死亡時刻については、証拠上、原告美智子が救急車を呼んだ午後六時二五分ころとするもの(〈書証番号略〉)と午後六時四〇分ころとするもの(〈書証番号略〉)がある。前記認定のとおり、裕也が救急車で塚原医院に搬送された午後六時五四分ころには、塚原医師は、呼吸停止、心停止、瞳孔の散大の死の三徴候を認めたというのであるから、心肺蘇生術を実施しても救命の可能性があったかどうか疑問であり、塚原医師がその効果がないと判断して心肺蘇生術を実施しなかったことがあながち不当であったと認めることはできず、塚原医師に救命措置義務があったということはできない。

五因果関係について

被告塚原らは、裕也の死因がSIDSの可能性あるなど不明であるから、原告ら主張の治療方法を講じたからといって救命の可能性があったといえないと主張するが、裕也の死因については、すでに述べたとおり不明というわけではないから、同被告らの右主張は前提を欠き、失当である。

また、被告塚原らは、裕也の死因が気管支炎或いは肺炎であったとしても、ウイルス性の場合は有効な抗生物質がなく、細菌性の場合で有効な抗生物質があり、これを投与したとしても、五、六十分の間にその効果が生ずることは期待できず、結局、裕也の死亡の結果を回避することはできなかったし、原告ら主張の治療方法は、対症療法に過ぎず、原因疾患の急速な進行により、もはや死亡の結果を回避する可能性は極めて疑わしかったと主張する。しかし、前記認定のとおり、スメルモンコーワの注射以外に適切な診療が行われなかったために、塚原医師が診察した約一時間経過後に裕也が死亡したのであり、右の経過時間を無駄にすることなく、呼吸管理を行いながら、検査等を実施して病因を探究し、適切な治療を行うことが可能になる筈であるのに、これを行わず、その機会を失わせた不作為を医師としての義務違反であるというのであるから、この点の被告塚原らの主張も採用できない。

さらに、被告塚原らは、大規模病院に転医の措置をとったとしても、五、六十分の間に適切な措置がとられることは困難であると主張するが、酸素の投与その他の救急措置がなんらとられないまま搬送されるとも考えられないから、その主張も肯認できない。

すなわち、塚原医師の前記義務を遵守し、裕也に対して、自院において、適切な検査、治療措置、或いは経過観察を行い、また、転医措置を講じて他の病院での治療の機会が保障されていたならば、前記のよう急激な死亡の結果はなかったし、原因疾患である肺炎に対する対応も可能であったというべきであるから、塚原医師の過失と裕也の死亡との間には相当因果関係があることが認められる。

六以上によれば、塚原医師は、民法七〇九条により、裕也の死亡に伴う後記損害を賠償する義務があり、被告塚原らはその相続人としてその法定相続分に応じた割合(被告塚原みゆきは二分の一、その余の者らは各八分の一)でその義務を承継した。また、被告土浦市は、本件の休日診療業務について塚原医師の使用者の地位にあったから、民法七一五条により、裕也の死亡に伴う後記損害を賠償する義務がある。

七損害

1  逸失利益

一三〇三万八四八〇円

本件当時の賃金センサス昭和五九年第一巻第一表による産業計、企業規模計、学歴計の男子労働者の一八〜一九歳の平均年間給与額が一七八万四七〇〇万円(月額一四万八七二五円)であるから、この範囲内での原告主張の月額一三万円の所得を基礎に、生活費控除を五割、就労可能年数を満一八歳から満六七歳までの四九年間とし、新ホフマン式計算法による年五分の割合による中間利息を控除(係数16.716)して、裕也の逸失利益の現価を求めると、一三〇三万八四八〇円となる。

130,000円×0.5×12×16.716

=13,038,480円

2  慰謝料 一〇〇〇万円

裕也の死亡による裕也の慰謝料は、原告ら主張の一〇〇〇万円をもって相当と認める。

3  葬儀費用 七〇万円

原告岩田美智子の本人尋問の結果及び〈書証番号略〉並びに弁論の全趣旨によると、原告優が裕也の葬儀費用として七〇万円を支払ったことが認められ、これは、本件と因果関係がある同原告の損害であると認める。

4  弁護士費用 合計一〇〇万円

本件訴訟の内容、経過、認容額等に照らすと、本件と因果関係がある原告らの弁護士費用の損害は、それぞれ五〇万円が相当でる。

5  合計

右1、2の損害賠償請求権は、原告らが各二分の一の割合で相続したから、請求原因7記載のとおり、原告らの有する損害賠償請求権は、原告優が一二七一万九二四〇円とこれに対する不法行為の日である昭和五九年一月二日から支払済みまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告美智子が一二〇一万九二四〇円と右同様の遅延損害金ということになる。

塚原医師が死亡し、被告塚原みゆきが二分の一、その余の被告塚原らが各八分の一の割合で相続したから、被告塚原みゆきは、原告優に対し六三五万九六二〇円、原告美智子に対し六〇〇万九六二〇円の損害賠償の義務を負い、その余の被告塚原らは、それぞれ、原告優に対し一五八万九九〇五円、原告美智子に対し一五〇万二四〇五円の損害賠償の義務を負う。

八結論

以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの被告らに対する本件請求は、原告らの右損害賠償請求権の範囲内であるから、すべて正当として認容し、訴訟費用につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官福嶋登 裁判官浅香紀久雄 裁判官難波宏)

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